ジョン・フォードという響き |
ジョン・フォードという名前を語ることは簡単なようで難しい。ジョン・フォードという名前を語るということは時と場合によっては特別な意味をもたらすのであろう。 もちろん誰でも「ジョン・フォード」と発声する事はできる。しかし、映画作家が「ジョン・フォード」と叫ぶ時、それはあたかも「誓い」のような、そして唐突に、奇声のごとく叫びとしての「ジョン・フォード」なのであろう。 それはひとつの覚悟への、あたかも映画への忠誠の言葉のごとくである。「ジョン・フォード」と叫んだら、それは映画作家としての重荷を自ら背負うという誓約の言葉であるのかもしれない。 であるから、映画で一財産築き上げたいという方やヒットを狙う映画監督がいくら「ジョン・フォード」と叫んでも、それはただの言葉にすぎないし、過去にいた映画監督の名前にすぎない。 では一体、「ジョン・フォード」とは何なのか。 「ジョン・フォード」と唐突に叫ばれる映画の名場面は次の二つにある。 ・ジャン=リュック・ゴダール『フォーエヴァー・モーツアルト』(96) ・ヴィム・ヴェンダース『都会のアリス』(74) フォーエヴァー・モーツァルトヴィッキー・メシカ / / 紀伊國屋書店 スコア選択: 上の二つの場面に共通することは、「ジョン・フォード」という言葉が、唐突に叫ばれたり、記号としてつぶやかれたり、とにかく意味が無く奇声のように発せられている点であろう。 なぜこのような奇声のごとくであるのか。その不自然さを受容することが第一歩かもしれない。 意味を嫌うワード、それが「ジョン・フォード」なのかもしれない。 それは、観客が判断すべきことだろうから、あえて意味をもたせないとも言える。 しかしそれはおそらく映画への誓約というか、映画であることへの喜びの表明なのかもしれない。もはやそこには興行収入云々やア○デミー賞云々は介在しないのだろう。 そんな難しさを持つ映画的な言葉が「ジョン・フォード」なのだ。しかも唐突に語られることによって輝きを増すのである。そしてそれは映画への「忠誠、誓約」であるから、軽々しく発せられないものでもあるのだ。ジョン・フォードを饒舌に語ることは危険でもあるのだ。 つまり、例えば東京タワーに登って、下界の東京を見れば、高層ビルや車が目に入る。しかし、よく見ると、遠くに雲の間から東京湾に光が射し込んでいたり、影になっている部分はゆっくりと動いている雲の影であったりするのがわかる時があるかもしれない。 光と影を見出すこと、それが「ジョン・フォード」なのかもしれない。そういう態度を各人が持って、はじめてジョン・フォードという生き方を少し垣間見れるのかもしれない。 それは決して老人ホームでは見ることが出来ない。たとえ息切れしながらも杖をついて、若者に押されながら、死の病を抱えながらも歩く80歳を超える老人になっても、自ら街を歩き、区役所に出向き、再び歩きだし、人生を計算し、そして、目の前を横切る電車や、路面電車の窓から、光が交互に路面を映し出すような時に力強く生きる決意を己に確認する、それが「ジョン・フォード」なのかもしれない。 動きのある、光と影に囲まれ、見て感じること、それがジョン・フォードであるのかもしれない。 しかし、ジョン・フォードはいまだ解明されていないのであろう。我々は一般的に、ジョン・フォードという映画監督を即物的に語ることでひとまず、安心して落ち着くのでは無いか。 脚本や大作を語ることもあろう。 しかし、それでは不十分なのがジョン・フォードなのであろう。 ジョン・フォードを唐突に語ることはそれほどに難しいのであろう。 ゴダールやヴェンダースを見て、ジョン・フォードという響きの扱いを知り、そして『周遊する蒸気船』、『幌馬車』、『捜索者』を見れば、慎重さが必要なことがわかるであろう。 そして、『周遊する蒸気船』に出演している酔っ払いの役は、兄のフランシス・フォードである。 この兄の紹介で映画業界に入ったといわれる、自分を西部劇の一監督としか思っていない控え目な態度の監督、ジョン・フォードの作品を見ることは紛れも無く、「数少ない映画というもの」を見る行為であり、観客として「真の映画を守り抜く」という宣誓であり、ある種の暴挙と言っても過言では無いのだ。 周遊する蒸気船ウィル・ロジャース / / アイ・ヴィー・シー ISBN : B00005G12N スコア選択: そんな覚悟が無くてもジョン・フォードの映画は実際見れるし、語ることは自由であるのだが。 ジョン・フォードという響きは、特別な目立つ個性的なものではなく、人並みに人生を計算し、分をわきまえ、いざという時はバンと出る静かで戦略を持った暴挙であり、光と影を見続けるという映画的な意思を表しているのだろう。 |
by oshiba5555 | 2007-02-24 02:46 | アメリカの映画監督
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